怒りは二次的な感情でその奥には悲しみがある

昨日、年金事務所に行ってきました。国民年金への切り替えのためです。

本来ならば退職した翌月である4月中に終わらせることですが、コロナ拡大によって4月中に発送されるはずだった退職関係の書類が遅延、さらには年金事務所に送った書類に不備があってやり取りをしていたら、ここまで延びてしまいました。

そんなこんなで色々と遅れてしまったのですが、無事に書類を提出することができました。

その年金事務所で起こったことを今日はご紹介します。

年金事務所に着いて順番待ちをしていると、とあるおじいさんの怒鳴り声が突然聞こえました。かなりご立腹な様子で、事務所が一瞬静まり返ったのを覚えています。

聞き耳を立てていると、どうやらそのおじいさん、ちょっと前に送った書類の返事が来ていないらしく、待てど暮らせど届いていないとのこと。それはどうやら年金受給に関するものだったらしく、事務所側が書類を失くしたのではないかと責めたて始め、その後に「来週から食べ物も買えなくなる、どうしてくれるんだ」といったことを怒鳴り始めました。

その後、僕は順番が来て、おじいさんとは離れたブースに通されました。遠かったのですが、たびたびおじいさんの声は結構大きな声だったので聞こえてきましたが、過度に共感して体調を崩すのも嫌だったので、ひたすら防御をして、自分の手続きと目の前の職員さんの説明に集中していました。

自分の手続きが10分くらいで済んで、年金事務所を出たときも、そのおじいさんはああでもない、こうでもない、と言っていました。

年金事務所から出て、立体駐車場にある自分の車に歩いている間、我を忘れたように怒っていたおじいさんのことを考えてみました。

これは確か、氷室さんの透視講座で聞いた内容なのですが、「怒りというのは二次的な感情で、一次的、つまり根っこにある感情は悲しみである」と氷室さんが言っていたことがあります。悲しみが限度に達して自分ではどうしようもできなくなってしまうから、怒りという感情に変化させて他人にぶつけるのです。そこには「私の悲しみをわかってほしい」という依存や甘えがあります。本来は自分を見つめて自分で悲しみの正体を見つけていくのに、怒りとして他者に投影して逃避をしてしまうんですね。

年金事務所で見たおじいさんも、根っこの部分には悲しみがあったと思います。では、その悲しみは何なのかというと、「食べるものに困っている(=お金に困っている)」という悲しみですね。

悲しみというのは繰り返すものです。小さい頃に受けたトラウマって普段ンは自覚できないのですが、日常生活で起こる「悲しみ」や「怒り」といった感情を通して「この感情を見つめてほしい!」という無意識の思いから再現されます。

このおじいさんの場合、小さい頃、食べることに苦労したのかもしれません。具体的な年齢はわかりませんが、戦中あるいは戦後で食べるものに苦労したのかもしれません。あるいは経済的に貧しい家庭だったのかもしれません。

「食べるものがないと怖い」「お金がなければ食べられない」といったトラウマが植え付けられると、日常で食べるものがない、お金がない、といった現実と直面します。たとえ経済的に豊かになって大金持ちになったとしても、そして社会全体が飽食になったとしても、内観をしてトラウマを癒していかないと、癒されたいトラウマが度々顔を出すのです。どんなにお金持ちになっても、「お金がない」というトラウマを見つめないと、どんなに稼いでも「足りない」現実が続いていくのです。

トラウマ、と言いましたが、思い込み、つまりマインドのことでもありますね。マインドって色々な呼び方があるのかなぁ。

このおじいさんの場合、小さい頃の食べ物のトラウマを手放してあげることが必要だったのかもしれません。今は物であふれかえっている時代だよ、自分の分は十分に確保されているよ、しかももう子供じゃないから多少は働いて稼げるよ、と心の中の幼い自分を安心させてあげたらいいのかもしれません。あるいは、年金がすぐにもらえなくても、持っているものを売ってお金にすることもできるはずです(この場合、その売らなければいけないものをおじいさんが売るために、わざと自分でお金がない状況を作り出している可能性が高いです)。もしくは、釣り、自家栽培、ジビエなどがやりたかった人だからこそ、そういった活動をするためにあえて食べ物を買わずに自分で調達する世界を自分で選んでいる可能性もあります。

トラウマへは色々なアプローチができますが、怒りに我を忘れている状況では全くもって無理な話です。怒ることは悪いとは思えません。でも、怒ることで大切な気づきの機会をスルーしてしまうのは、なんだかもったいない気がします。気づくことで自分の中をクリアにできますから(そして内面がクリアになると、連動して外側の世界もクリアになります)。

僕はこのおじいさんでも年金事務所の職員の方でもないので、書類が本当になくなっているのかとか、おじいさんが本当にお金がないのか、とか、話の細かい部分の真偽はわかりません。それでも、怒りの根底には悲しみがあり、そこを掘り下げていくと幼少期のトラウマが見え隠れすることがあるのではないか、ということがなんとなくわかった気がします。

現実世界は鏡だからこそ、起きている物事は本当にその人の心の中を映すんだなぁと思いながらエンジンを入れて、ショッピングモールの方へ車を走らせました。

投稿者: dragaliens

30代男性。元教師。 見えない世界に興味がある。 自分を癒やす旅を続けている。

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