昨晩、三輪山に初めて登拝したときの記事を読んでいたんですが、頂上の興津磐座の少し手前にある高宮神社で666円を入れたという部分に気づきがありました。
その記事の中では、一緒に登拝をしたMさんが「思考を手放す」という意味だとおしえてくれた、と書いてありました。もちろん、その意味はあります。
この666という数字。
読み方を変えると「ミロク」と読めるんですね。3(み)つの6(ロク(9))でミロク。ネットで調べてみると、369が「ミロク」ですが、666でも「ミロク」と読んでいる人もいました。
ミロクとは弥勒菩薩のことで、釈迦が入滅してから56億7000万年後に現れて衆生(現世)を救うとされています。ちなみに弥勒菩薩はサンスクリット語で「マイトレーヤー」。救世主を意味する「メサイヤ」と同じような語感なのが不思議です。
弥勒菩薩は真言宗において、空海と同じく重要な位置に置かれています。というのも空海は亡くなるときに、「弥勒菩薩と一緒に世を救うために現れる」と言い残しているのです。そういった経緯もあってか真言宗では弥勒菩薩を表す梵字は空海を表してもいます。

お遍路に行こうと思ったのは三輪山の登拝が終わって少したった後からでしたが、どうやら登拝した時点でそのことが運命づけられていたようですね。その運命をどこか無意識の奥の奥で感じ取っていたからこそ、666円をなんとなく賽銭箱に入れたのだと思います。
お遍路を三輪山の神様にも応援されているような気持ちですね。とてもありがたいことです。