供養の度合いと金額の高低はもしかして比例しないのでは?という話

お遍路を初めて2日目のこと。確か、3番札所金泉寺から4番札所大日寺を歩いていた辺りだったと思うのですが、何かの集団が上がっていった感じがしました。

僕の前世なのか、それともロウワーセルフ(自分の魂の目的に生きる人生を達成できなかった別次元の自分)なのか、ご先祖様なのか、それともどこかでお持ち帰りしてしまった霊なのか、そこまではわかりませんが、上昇していくのがわかりました。

成仏…なのかもしれませんが、より高い次元へと目覚めていったという表現の方が適切かもしれません。それまで抱えていたこだわりや固執が解消されて、続々と上に上がっていっていました。

前に氷室さんの鑑定で山伏の前世があったのですが、その方が出てきて先導をして、色々な存在と上に昇っていったのです。

自分では成仏とか浄化とかそういったものを全く意識しない、自分のためのリフレッシュのお遍路旅だったので、これは驚きました。

それにしても、お遍路の旅を長く続けて、それこそ結願をして上に上がっていくならまだわかりますが、お遍路を始めたばかりのタイミング(しかも3つ目の札所を過ぎただけ)で上がっていくなんて、意外と霊って経済的なのかなぁ、とも思ったり。経済的、っていうと失礼な表現かもしれませんが、大金をはたいて除霊や浄化をしたり、特殊な儀式をしたり、高名な僧侶や霊媒師にお願いしたりしなければいけない、というイメージが強かったので、すごく意外でした。

この話をこれまた氷室さんにこの間の大阪の鑑定会でシェアしたところ、こんなコメントをいただきました。

「そういった存在というのは、〇〇さんがそれこそお遍路を始めようと思い立った時点で満足されているのかもしれませんよ。それに霊とかって意外とあれこれ求めず、シンプルですからね。」

この三次元で生きていると、やはりお金を意識せざるを得ません。高額な料金を払った方が早く供養できるのではとか、有名な神社に行ったら高い金額を初穂料で収めた方が運勢が良くなるのではとか、僕もそういった考えになっていた時期がありました。正直言うと、お遍路のこの経験をするまではそういった考えは少しありました。

でも、この経験を通してわかったのは、やはり大切なのは「気持ちがこもっているか」ということ。心からの喜び、ワクワク、愛情で接することで、それが高次元であろうが低次元であろうが、自分を含めたすべての存在は満足するのかもしれません。「自分のためを思ってくれた」って、人間でも嬉しいことですよね。お賽銭が10円でも、そこに心がこめられていればいいのでしょう。臭い話ですが、そう思うのです。

自分が満足するのであれば、高い金額を払うことには全然問題がないと思いますし、むしろそれは神社仏閣や支払った会社やカウンセラーなどを大きく助けることにもつながります。気を付けなければいけないのは、無理をしたり見栄をはったりして大金をはたいて、生活が苦しくなってしまわないように意識することです。

ケチりすぎも良くない面があるので一概には言えないことかもしれませんが、「自分が適切だと思って満足できる金額」というのが「見えない存在が適切だと思って満足できる金額」なのかもしれません。

ただ、やはりこの経験で思ったこととしては、度合いにもよりますが、個人レベルの供養や浄化にそんなに大金は必要じゃないのかな、ということです。そう考えると、なんだか自分の家のお墓ややってきたお葬式のことや菩提寺のことで「うーん」となってしまいます。お盆だからでしょうか。

一時期、浄化のために買った様々なスピリチュアルグッズとその値段も思い出し、自分もまだまだだなと思わずにはいられません。

投稿者: dragaliens

30代男性。元教師。 見えない世界に興味がある。 自分を癒やす旅を続けている。

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