フラットな状態 (前編)

以前、吉田えりなさんのセッションで吉田さんは「フラットな状態」という表現を使っていました。

このフラットな状態というのは、透視、ヒーリング、エネルギーワーク…など、色々とワークショップやイベントに参加してきた僕ですが、そういった技術を習得(という言葉を使うのも少し違う雰囲気もあります。元々人間に備わっている機能なので。)するにあたってはその状態を保つことが一番大事だと思っています。

肉体・現実レベルでフラットな状態を目指せば、霊的なレベルにおいてもそのような状態に比例してなっていくのでは、と経験から感じています。

フラットな状態を目指すために、僕は個人的に以下のような取り組みをしています(現在進行形)。

【嫌なことをやめる】

自分にとって嫌なこと、モヤモヤすること、イライラすること…等、気持ちをかき乱されるようなことをきっぱりやめる。これが一番効果が大きいと思いました。

もちろん、いきなりゼロにするというと現実的な生活がうまくいかない部分があるのも事実なので、徐々にやめていくというスタイルが有効かもしれません。

ただ、「自分ではそう思っていなくても、実は心の中では限界を迎えていること」というのもあるのですが、これが結構厄介です。

つまり頭では「常識」や「慣習」として認識していても、実は自分にとっては「足枷」だと感じているものって実はかなりあり、それをやめることってなかなか勇気がいります。

「主婦だから家事をしないとダメ」「男は泣いてはいけない」「子供は一生懸命勉強すべき」…等、結構あると思います。

お惣菜を買ってご飯の準備をしたりお掃除サービスにお金を払って掃除をしてもらう主婦がいてもいいですし、悲しいことで泣く自分の気持ちに正直な男性がいてもいいですし、思いっきり外で遊んでいる子供がいてもいいのです。その主婦が浮いた時間を使ってネットビジネスを始めて総菜やお掃除サービスの料金をペイできるかもしれませんし、自分の感情に正直になったおかげで表現が豊かになり小説家デビューするかもしれませんし、外で遊んで捕まえた昆虫がきっかけで昆虫の研究者を志すかもしれません。

「嫌なことをやめる」ということはつまり、今までネガティブに引っ張られていたエネルギーがポジティブに変わるということです。そしてネガティブとポジティブを繰り返していくうちに、いずれはニュートラルに落ち着きます。振り子の原理と一緒ですね。このニュートラルな状態というのがつまり、フラットな状態です。

【内観する】

このブログでも何度も出てきているワードですね。

内観というと瞑想っぽいことをイメージする人も多いかもしれませんがこの二つは全くもので、内観は自分自身への質疑応答の繰り返し、瞑想は意識を空っぽにすることという印象があります。

内観ではひたすら自分と向き合います。少し乱暴な言い方になるかもしれませんが、それがたとえ自分にとってやや理不尽なことであっても、全て起こっている出来事は自分の中に原因があるというスタンスになります。

DVを受けているのは実は自分の中にある自分に対する無価値観から来ていたり、会社で不当な扱いを受けているのは自分の気持ちを正直に相手に伝えられない姿勢から来ていたりすることもあるのです。

ただ、もし現実的な被害があるようであれば弁護士に相談するとか、それによって裁判をして適切な審判が下る…というようなことは必要だと思います。これはあくまでも「霊的なレベル」での話なので、「現実的なレベル」での慰謝料とか裁判とかという話とは違う領域の話になります。裁判の結果慰謝料がもらえる、というのは現実的には好ましいことかもしれませんが、それで心の問題が根本的に解決するかというのはまた別次元の話になります。

内観に関しては、正直、カウンセラーや心理療法士といった人の手を借りたほうが早いしわかりやすいと思います。これは確か、宇佐美敬子さんとのセッションで宇佐美さんが言っていたことだと思うのですが、「誰かに指摘されることで、自分では気づかなかったことにハッと気づくことがある」ものだからです。

思い込み(マインドセット)は自分の頭の中で存在していて当たり前な状態になっています。当たり前になっている、ということはつまりそれが「正常」だと自分が錯覚してしまっているのです(本当のところ心は異常事態だと気づいているのに)。

ただ、僕も経験があるのですが、内観をして核心部分にあるマインドセットをカウンセラーの方に突かれると…かなりつらいです。痛いです。荒療治です。マインドが存在意義を問われてパニックを起こすからだと思います。

それでも、マインドセットを見つけてそれを上手に手放せることができたときの身体が軽くなるあの感じは、本当に毎回驚かされます。

【自分軸で生きる】

自分軸で生きるとはつまり、「自分にとってベストなこと」を選んでいく生き方です。

「嫌なことをやめる」で話したことに通じる部分もあるのですが、それが「伝統」や「常識」だからといって必ずしも自分にとって幸福を感じる要素になるかはわかりません。

「20代で結婚して子供を授かる」というのが万人にとって幸せなイメージかというと疑問があります。結婚しないで気楽に独身でいることに幸せを見出す人もいますし、子供をつくらないでいつまでも恋人同士でいることに幸福を見つけるカップルもいます。

「大企業に就職する」ことが全員幸せになるための条件では必ずしもなく、自分で会社を興したりフリーランスで生きたりする方に魅力を感じる人たちもいます。

幸せというのは他人と比べたり、型に当てはめたりするものではなく、「自分がどう感じるか」です。自分が幸せだと感じたなら、それがたとえ世間とのギャップがあったとしても、それがその人にとっての幸せなのです。

そして自分が感じる幸せな世界で生きている人は、自分と同じ、「自分が感じる幸せな世界で生きている人、モノ、動物…など」が引き寄せられるので、より肩の力を抜いて生きていくことができるようになるのです。

(後編)に続きます。

投稿者: dragaliens

30代男性。元教師。 見えない世界に興味がある。 自分を癒やす旅を続けている。

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3件のコメント

  1. 現実的なところで、生きていかねばならないので、弁護士と相談していますが、スピリチュアルでは相手を認め、自分を認める作業が必要という矛盾が。どちらも平行とはならないのでしょうか?

    1. フラットな状態というのは心のあり方なので、現実的な弁護士との相談とは世界を分けて考える必要があります。
      平行だけれど交わっている、という見方でしょうか。弁護士との話し合いで問題は解決するけれども、それだけで心が癒されるかは別問題ですし(多少癒される部分もあるとは思います)、内観しているだけで弁護士との話し合いは進むわけがないです。
      「弁護士との相談」という世界と、「心を見つめる世界」という別の世界に棲み分けます。平行の状態ですね。でも、人生のある時点で、「弁護士との相談」に変化が出たり、「心を見つめる世界」で癒しが起こることによって、交わるタイミングが出てくるはずです。
      今は矛盾しているように見えるし分離していると感じるかもしれませんが、時の経過で変化する(そこには変化させたいという意識が必要ですが)こともあると思います。

  2. きっとまだ許せない。つまり自分を許したくないんですね。頭ではわかっているのですが、ハートの部分が狭いと思います。

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