今日は大学時代の友人と、江の島に行ってきました。

雨が降るような天気でしたが、帰る頃まで降らずにもってくれました。
数年前に行ったときには行けなかった岩屋も行くことができたし、しらす丼も美味しかったしで、やはり江の島周辺はベタだけど丸一日楽しめる場所だなぁと実感。近くには新江ノ島水族館もあるし、ちょっと行けば鎌倉もあるのでオススメです。
さて、今日はアンパンマンのお話をふと思い出したので書いていきます。
僕は小さい頃からアンパンマンが好きでした。小学生になる前までよく見ていて、テレビ放送は勿論のこと、アンパンマンのビデオ(VHSとか懐かしい響き…)を親が買ってくれて、飽きもせず毎日のように見ていました。
保育園から帰ってきた時も、予防接種でギャン泣きした時も、休みの日も、とにかくよく見ていて、今風の言葉で言えばガチ勢だったと思います。そして好きが高じて、母親にアンパンマンのショーやコンサートにも連れていってもらった記憶があります。
逆に、ウルトラマン、仮面ライダー、戦隊モノは一切当時の自分には刺さりませんでした。なんとなく暴力的に見えちゃったから。アンパンチも暴力と言われればそれまでかもしれませんが。ちなみに仮面ライダー電王だけは大学生時代にハマりました。ライダーデビューが20年も遅い。
当時は全く気にしなかったのですが、社会人になってから久しぶりに『アンパンマンのマーチ』を聞いたときには、その歌詞の奥深さに圧倒されたのを覚えています。
歌い出しからいきなり、「そうだ うれしいんだ いきるよろこび」と、生きることという重いテーマが提示され、「たとえ むねのきずが いたんでも」と、傷ついてもなお生きていくという、よく考えれば子供向けではない内容です。
たしか何かのテレビ番組で見たのですが、原作者でもあり作詞をしたやなせたかしさんは、「子供向けだからこそ、いい加減な言葉にしたくなかった」といったことをインタビューで語っていたのが印象に残っています。子供って、実は嘘とか虚構に対しては大人以上に敏感だったりします。だからこそ、ある種哲学的な歌詞になったのかもしれません。
さて、そんな『アンパンマンのマーチ』ですが、多くの方が「愛と勇気だけが友達さ」という部分の歌詞に疑問を持たれたと思います。
アンパンマンってぼっちなの?友達いないの?それってアニメ的にマズくない?と思うかもしれませんし、実際僕も一時期そう思ったこともあります。
でも、実はそういうことを意図して書かれた歌詞では、勿論ないんです。
アンパンマンは、戦時中に特攻隊として出征して帰らぬ人となったやなせたかしさんの弟さんをモデルにしたと言われています。そしてこの『アンパンマンのマーチ』は若くして亡くなった弟さんへの鎮魂詩なのです。
だからこそ、「生きる」とか「なにが喜びなのか」とか「わからないまま終わる」といった言葉が使われているのです。
戦場には、友達も家族も連れていくことができません。だからこそ、「愛と勇気だけが友達」になるのです。あるいは、たとえ武器や力が無くても、愛と勇気をもっている人は誰でもアンパンマンのようなヒーローなんだと説いているようにも思えてきます。
色々な解釈はできるとは思いますが、「愛と勇気だけが友達さ」というのは決して後ろ向きな意味ではないと、詩の全体そして作られた背景を知ることでなんとなく感じ取ることができます。
アンパンマンは自分の顔を相手に与えるという究極の自己犠牲をしますが、ただ敵に立ち向かうのがヒーローではないということも教えてくれます。ちなみにこの描写は、やなせさん自身も徴兵されて戦地に赴いたときに現地で体験した飢餓の経験から来ていると言われています。
考えれば考えるほど、大人向けのアニメなんじゃないかな、と思えてきます。子供の頃はなんとなく見ていましたが、大人になってから多くのことに気付きました。
そしてそんな懐かしい気持ちになり、昨年『アンパンマンのマーチ』をYouTubeで聴いていたとき、歌っていらっしゃる双子姉妹ユニットのドリーミングの妹・寺田嘉代さんが急逝されたことを知りました。小さいときに母親に連れられていったコンサートでお二人の歌とトークを聴いたのが懐かしい。ご冥福をお祈りします。
姉の寺田千代さんはドリーミングとして活動を続けられているとのことです。
時は早く過ぎる
光る星は消える
だから君は行くんだ
微笑んで
『アンパンマンのマーチ』より
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