それが「好きだから」したい

これは数年前に受けた、とあるセッションでの話です。

知人がとあるセッションを受けた時のことを話してくれて、その話に僕が興味を持ってヒーラーのAさんを紹介してもらって受けました。

Aさん自身のヒーラーとしての経験が豊富で、しかも当時は生徒を持ってヒーリングを教えている立場でした。そのせいかヒーリングの実感もあって話もわかりやすかった印象があります。

しかし、セッションの最後の方でちょっと引っかかることがあったのです。その時に僕はお遍路に行くことをAさんに伝えたのですが、そうしたらAさんは、

「お遍路に行く目的は何ですか?」

と聞いてきたのです。当時は教師の仕事をしていたのですが、それを終えてリフレッシュのために行こうと思っていたので、「リフレッシュするためです」と答えました。そうしたらAさんは怪訝な顔をして、

「いや、それは違います!そうじゃないでしょ。」

と、強く否定してきたのです。

それまでは穏やかな話し方をして、肯定する時も否定する時もゆったりと話されていたのに、なぜかそこで強い語気になりました。突然のことで驚いたのですが、「いや、リフレッシュしたいし、ただ旅に出たいので…」と返しましたが、「そうじゃない!違います!」とまた強く否定。

こういった感じの問答を何回か繰り返していたのですが、『いや、行きたいから行くんだけど…』と心の中で思い、辟易していました。

でもそこでハッとして、『もしかして、霊的な力を上げるためかな?』と、Aさんの思考を読み取り(こういう勘の鋭いところが自分にはあります)、「霊的な力をあげる、修行のため…ですか?」と答えたら、

「そう!その通り!」

と、Aさんは答えたのでした。

その後、セッションが終わって帰路についている時には、なんだか複雑な気持ちになりました。

ヒーリングはよかった。満足のいくものだった。でも、最後にはAさんからお遍路の目的を押しつけられたような気がして(というか実際押しつけられて)、そこは嫌な気持ちになりました。

自分としては、お遍路は本当にリフレッシュのため、楽しむためであり、決して霊能力やヒーリング力の向上のためであるとは考えていませんでした。行きたいから行きたかっただけなのです。

まだお遍路は途中で終わってはいないのですが、確かにお遍路を通して霊的な感覚が多少変わったなぁ、と思うことはあります。しかし、それを期待して行ってはいませんでした。もっと言うと、お遍路に行くことで仏像や仏教のことに詳しくなったり、人の優しさに触れたり、知らない土地を訪れた感動を得たりして、そういったことの方を有難く感じています。もし霊的な成長を期待して行っていたら、そういった感動も無かったと思います。

ヒーラーがクライアントに対して一方的に考えを押し付けてはいけない、というのは基本ですが、まさにそれを体験しました。提案位なら問題ないですが、押し付けるのはさすがにNGだな、と思いました。しかもそこ以外のヒーリングはすごくよかったから、余計に残念に感じました。

ひょっとしたら自分もそういった押し付けをやっていたんじゃないか、という内省はしつつ、Aさんの経験から学んだことを活かして鑑定をしてきたつもりです。

何かをやる時に、それが「やりたいこと」であれば変に目標や動機付けを設定する必要はないんじゃないか、と思います。勿論やることの規模にもよって、大金や大人数が動くことだったら計画は必要です。でも、個人的なものだったらシンプルに「やりたい」とか「やってみたい」という気持ちだけで十分だと思うし、実際にやってみたら最初の目的や目標とは全く違う結果になることだってよくありますからね。

別の角度から考えると、あれはAさんのエゴが投影されたのかな、という分析もできます。つまり、Aさんの中で何かしらの満たされない気持ちや想いがあり、(Aさんから見たら)僕が何もお遍路の目標を設定していないように見えて、何らかの感情が刺激されて強く反応した…という見方もあります。もう交流はないので今となっては確かめる手立てもありませんが。

いずれにせよ、繰り返しになりますが、施術側の意識が中立的であるのかがいかに大事か、ということを実感しました。

投稿者: dragaliens

30代男性。元教師。 見えない世界に興味がある。 自分を癒やす旅を続けている。

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